Chapter.5 ずれた歯車


 ルーンミドガツ王国の首都であるプロンテラ。その街を東に出ると広大な森が広がっている。複雑な迷路のようなその森を抜けた先、狸山とも猿山とも呼ばれる山の更に先には聖職者達の修練の場である大きな建物が建てられている。
 聖カピトーリナ修道院。
 法王の治める大聖堂とは違い、王国の直轄であるその場所は修道院というよりも学院に近いものだ。アコライトとしてこの院に入った修道士達は神学や戦闘術、礼儀作法等を学んで行く。長い修練を終え、修業を認められた者達はプリーストやモンクといった上級聖職へと就くことになる。
 後に就くであろう職務での臨機応変さを身に着けるためか、それとも信徒を導く修練の一環なのか、この修道院では修道士の自主性を重んじる風潮がある。許可さえ取れば冒険者として長期間野外に出ることさえ可能だ。
 授業以外の時間には教師に頼ることはあまりなく、上級生が下級生の手本となって直接指導することが多い。職業柄か穏やかな気質の者が多いこともあり、この体制によって自然と修道院内の風紀が守られている。
 特に仲が良い者同士は自然と一対一で指導することが多くなり、仲睦まじいその二人の様子を兄弟姉妹に例えて女子部では「シスター」、男子部では「ブラザー」と呼ぶ習わしがある。
 シスターやブラザーとなった者達は院内で誰もが認めるペアとなり、より深い絆を結んでいくのだった。

 そんな修道院の中でさやさやとレイホウは年が離れていることもあり、顔も知らない者同士だった。
 武勇に優れ、学問に聡く、人を惹きつける魅力的な風貌を持ったレイホウ。常に自信に満ちた表情をしている上に、言い難いことも気にせずはっきりと言う。口論をして彼女に勝てる者などこの院内には存在しなかった。
 近づきがたい雰囲気を持ったそんな彼女のことを疎ましく思う者も居たが、それ以上に憧れる者の方が遥かに多かった。
 男子部の修道士から好意を寄せられたことも一度や二度ではないのだが、「私の身も心も神に捧げられた供物だ。その私が貴様などに興味を持つはずがなかろう?」と言っていつも断っていた。
 あまりと言えばあまりにも無慈悲な断り文句。そんな断り方を続けていれば恐れて好意を寄せるものも減り、根に持つ者も居るはずなのだが……逆に彼女を崇拝してしまう者が後を絶たなかった。彼女のカリスマ性の表れだったのだろうか。

 それに対してさやさやはどうなのかと言えば。
 頑張ればなんとか及第点は取れるかな?という程度の学力と、どちらかと言えば戦闘には向かないのほほんとした性格。やること成すことドジばかり。毎日手入れされた艶やかな青みがかった黒髪以外には特に見るべきところもない、どこにでも居そうな女の子だった。
 ただ失敗しても決して挫けず、何事にも恐れずにいつも全力で向かって行く彼女を見ていると、どうしても放って置けない気分になる。事実彼女の周りにはいつも誰かが居た。
 ぽややんな彼女の雰囲気が伝染するのか、一緒に居る者もぽややんな気分に巻き込まれてしまう。結果、彼女の周囲は常に自然な笑顔で溢れていた。
 意外と恋多き乙女でもあったようで、あの男子部の先輩がカッコ良い、あの男の子は可愛い、あの先生は渋いけど年齢離れすぎかもなどと周りの修道女達と一緒にいつもはしゃいでいた。
 だが、彼女に関する浮いた話は一度も出たことが無かった。実際に異性とお付き合いできる程の勇気は持ち合わせておらず、恋はしても愛に至ることはなかったようだ。

 正反対とも言える程に対照的なこの二人。
 最初の出会いは教室を移動中の廊下。ふと向けた視線が偶然に絡み合った。
 さやさやは修道院内でも有名な上級生を目にして「あぁ、この人が噂の。名前、なんだったかな」と、レイホウは名も知らぬ下級生を「髪の綺麗な娘だな」とお互いの存在を認識し合った。同じ修道院内に居はしても、関わることは無いだろうと特に興味を持つことも無くすれ違った。

 次に出会ったのは他学年との合同戦闘教練。偶然にも二人は同じパーティを組むことになった。
 このとき初めてお互いの名前を知り、そしてお互いにその名を胸に刻み込むことになる。自分とは相容れない存在として。
 教練の結果は散々なものだった。速攻での接近戦を旨とするレイホウと、遠距離からの援護を旨とするさやさや。ベストな組み合わせのはずなのに、何故かお互いの足を引っ張り合う。レイホウが敵の攻撃を避けたところにさやさやの援護攻撃が飛んでしまい、さやさやの支援をレイホウが避けて敵に掛かってしまう。呼吸が全く合わなかった。即席のコンビとは言え、二人はあまりにも自分勝手に戦い過ぎてしまったのだ。

 更に次の合同戦闘教練。二人はまたしても同じパーティを組むことになってしまった。
 また惨敗かと天を仰ぐレイホウと、今度こそ絶対に勝ちましょうとやる気満々のさやさや。何の含みも無い目で真っ直ぐに言って来るさやさやを見て、レイホウも勝つ為には最大限の努力はするべきだなと思い直す。
 教練の結果は驚くべきものになった。レイホウが指揮を取ることによって戦況は常に彼女達が有利な流れとなり、レイホウの呼吸を読み取ったさやさやによって的確なタイミングで援護・支援が行われる。前回の戦いが何だったのかと思える程に呼吸はピタリと合っていた。
 気が付いたときには、戦闘は過去類を見ない程の圧勝に終わっていた。
 あまりの結果に呆然としつつも満足気なレイホウと屈託無く無邪気に喜ぶさやさや。このとき二人はお互いに、自分に欠けたものを相手が持ち合わせていることに気づいた。
 ずれていた二人の歯車が、このとき初めてカチリと噛み合った瞬間だった。

 四度目の出会いは偶然では無かった。授業開始直前という時間、次の授業の準備をしていたさやさやの前にレイホウが現れたのだ。驚くさやさやの腕を掴んで、用件も告げずに教室から連れ出してしまった。
 呆然と事の成り行きを見ていたクラスメイト達は二人が姿を消すと同時に我に返り、大きな歓声を教室に響かせていた。
 修道院の建物を出て、講堂広場を抜けた先にある見晴らしの良いベンチ。いつもは老師が日向ぼっこをしているこの場所も、授業が始まってしまったこの時間には誰も居なかった。
 そこまで来るとレイホウは掴んでいた手を離し、言いたかった事を全く伏せる事無く次々と浴びせ掛ける。突然の事に戸惑いつつも最後までそれを聞き終えると、お返しとばかりに今度はさやさやが言いたかった事を留まる事無く言い募った。
 二人の言い合いは授業が終わる時間になっても尽きる事無く、日が暮れるまで続いた。
 途中、日向ぼっこに来た老師が二人に声を掛けたが、お互いのことしか見えていないのか全く振り向きもしなかった。その後とぼとぼと寂しそうに歩いている老師が目撃されている。

 それから二人は出会いを数えることもしなくなった。毎日会っているのだから数えるまでも無い。
 反発しながらも惹かれ合う二人はいつしか、シスターと呼ばれるようになっていた。
 机上を踏まえた上でそのまま実践してみせるレイホウの指導によって、さやさやは苦手だと思っていた分野を驚くほどに伸ばしてゆく。以前は臆して触れられなかった未知の分野にも勇気を持って進めるようになり、ただのムードメーカーから一人前の聖職者へと成長していった。
 かつては下級生を指導することなどなく、ただひたすらに己を鍛え上げることのみに専心していたレイホウ。いつも張り詰めた空気を纏っていたそんな彼女も、さやさやを教え導く内に和らいだ雰囲気を身に付けていった。彼女を慕っていた他の修道女に声を掛けられることも多くなり、頼まれれば彼女達の指導を行うようにもなった。
 依存はしないが必要なときには必ず傍に居る、欠けた部分を補い合える、二人はそんなかけがえのない存在になっていた。一年後にレイホウが卒業しても二人の関係は続き、今に至っている。
 あの時噛み合った歯車は今も変わらず回り続けていた。

 聖職者としてはもちろん、勝手にメイドを始めてしまったのに変わらず自分を護り支え続けてくれる。そんなレイホウにさやさやは、し切れない程の感謝をしている。レイホウが居なければ自分は聖職者に成れたかどうかも怪しいと思っている。
 姉とも親友とも言えるレイホウのことをさやさやは大好きだった。
 そんなレイホウがご主人様と居るときだけは今まで見た事もない反応を示している。いくら色恋沙汰に鈍いさやさやでも、レイホウがご主人様に好意を抱いていることは容易に想像できた。親友の、もしかしたら初めてかもしれない恋。
 応援してあげたい。
 だが、応援しようと思えば思うほどに胸は苦しくなる。レイホウとご主人様が仲良くしているのを見ると、嬉しくなる反面悲しくもなる。自分がどうすればいいのか、どうしたいのかもよくわからない。
 さやさやも親友と同じようにご主人様のことが――好き、だったから。

 レイホウのことが好き。ご主人様のことが好き。その二人が好き合うというならば最高ではないかと考える。
 だがそれは同時に、最愛の二人が共に自分から離れていってしまうことになるのではないか、とも思う。二人が自分を見捨てるような人物ではないと頭では理解している。だが心は納得できなかった。
 もやもやとした気持ちを抱えたさやさやは、気づくとご主人様の部屋の近く前に立っていた。無意識にここまで来てしまったようだ。せっかくだから相談してみようかなとドアを叩きかけたとき、中から話し声が聞こえていることに気づいた。見れば少しだけドアが開いていた。
 聞こえてくるのはレイホウの声。なぜ、ご主人様の部屋の中にレイホウが。ドアを叩こうとした格好のままピクリとも動けない。先程自分のした会話がふと頭の中をよぎった。
 夜這い。
 友達が言うには、好きな人に自ら進んで身を委ねることらしい。受け入れられれば愛の告白の更に先の場所へと行けるとも言っていた。
 レイホウは既に告白してしまったのか。ご主人様はそれを受け入れたのか。私の居場所はなくなってしまったのか。思考はぐるぐる回ってまとまることがない。まとめたく、なかった。
 漏れ聞こえてくる楽しそうなレイホウの声が一層混乱を助長する。
「……さやさやが……怪しい……要領を得ない……」
 どうやらさやさやの話で盛り上がっているようだ。
 二人の声を聞けば聞くほどにさやさやの心は、自分でも驚くほど冷たくなっていった。

 半時後、話を終えたレイホウが部屋から出て来た。扉を閉め、興奮冷めやらぬといった感じでまだ赤い顔をしているレイホウに声が掛かった。
「……こんなところで何をしてるんですか」
 ビクリとして左右を見回し、扉の横に体育座りで蹲っているものを見て驚く。あまりにも暗い声と様子に一瞬誰なのかわからなかった。落ち着いて見れば、見慣れた相棒だったのだが。 「さ、さやさや!? き、貴様こそ何故ここに居るのだ」
「……夜這いというヤツですか?」
 レイホウの質問には答えず、普段からは考えられない程に暗い声で続ける。その異常な雰囲気にレイホウの顔も神妙なものになる。
「私がご主人様のこと好きだって知ってたくせに、私が先に好きになったのに! 後から来て、ご主人様のこと取らないでよっ!」
「わ、私はだな」
 何か言い返そうとして口を開きかけたレイホウだが、そのまま何も言わずに口を閉じる。
「わかってますよっ! レイホウさんが居なかったら私なんて転んでばっかりだし、仕事を失敗し過ぎてすぐ首になっちゃうなんてこと、わかってるんですよ! でも、でも……! 本当に好きなんだもん!」
「さやさや……」
 眼の端に涙を溜めながら、感情を剥き出しにして言い募るさやさやに「落ち着け」などと言えるはずもなく。理論的な正論など逆効果になってしまうことが分かっているレイホウは何も言えずにただ悲しそうに名を呼ぶくらいしか出来ない。
「ご主人様だけは、絶対にレイホウさんに渡しませんから!」
「あ、さやさや――」
 伸ばした手がさやさやに届くことはなく、虚しく空を掴む。いつもならば簡単に掴めた腕。本気で掴もうとしたのかと自分に問いかけ、自嘲的な笑みを浮かべるレイホウ。
 走り去って行くさやさやを、ただ見送るだけしか出来なかった。そんな自分に歯噛みする。
 こんなはずじゃなかった。
「あいつの笑う顔が見たかっただけなのに、いつの間にかあいつから笑顔を奪ってしまっていたのか……」
 それでも自分の想いを抑えこむことは出来なかった。
 届かなかった手を硬く握り締めた。

 数日後、館からさやさやが――姿を消した。

 ――――――――第一部 完

※さやさやの一口メモ

 さやさや先生の次回作をご期待ください。
 ……って、まだ終わらないから! この後はさやゴス特別編「さやさや夏の絵日記」がはじまるよー!